呼ぶな呼ぶな呼ぶな、
呼ぶな。
その、名を。
絹のような髪をさらさらと優しくすいてやれば、仔猫のように目を細める。
「んー…」
「ああルーク様、ちゃんと座っててくださいって。だんだん俺の方に傾いてますよ。」
「ガイちがう。ルーク!」
「いや、違うと言われても…ルーク様、俺は幾ら年が近いと言ってもしがない使用人なんですよ?」
「ガイ、ルーク!」
気持良さそうにしていたかと思えば途端にだだをこねるようにぶんぶんと頭ごと振り乱す。
「はいはい、なんだルーク?」
「ん!」
とたん、眩しいほどの笑顔が咲き、以前にはあり得ないような表情に目を剥いた。
「そんな顔、はじめてだなあ」
「はじめまして!」
「違う違う、はじめて。」
これが復讐相手の出来すぎた頭の回る子だったなんてもう誰も信じないだろう。ぴりぴりと常日頃張り詰めていたあの空気を一掃してしまうような、きらきらと光る完璧な子供の表情。
そして、自分が何故此処にいてこの子供をどうしてしまいたいのか、そんな記憶すら燻ぶってしまいそうな。
「…、ルーク。ほら。終わったぞ。」
「ありがとガイー!」
悪意の欠片すらない、その、眩しさに、目が眩んだ。
謎の誘拐(結局、マルクト側のせいだと最終的に決着は着いたが。)の後、まっさらになったルーク・フォン・ファブレに成すべきことは数え切れないほどあった。
まず始めに言葉を覚えること。それから両親を覚えること。自分が誰なのかを知ること。そしてその立場からして、関わりは恐らく一生断てないであろう陛下と姫を覚えること。それがすんだら次は徹底的に常識と言葉と知識を叩き込まなければならない。
よって、使用人である自分は教養知識を教えるべく人間にバトンタッチをしなければならないのだ。
「………なんだか、一気にやる事が減ったな。」
「昨日までは付きっ切り、でしたからな。」
週始めの区切りから、つまりは今日この日から、ルークに教師が着いた。
昨日までは子供と駆け回る時間ばかりだったのが、一気に何もすることが思い当たらないような時間になってしまう。
机の上につっぷしているとさぞ可笑しげに元騎士、現庭師は笑う。
「本日はガイラルディア様もゆっくりお休みになられるとよいでしょう。恐らく皆、明日から貴方様に仕事を押し付けてくると思います。」
「よせよ、此処でそう呼ぶな。」
「これは失礼。」
それではこれからルーク様の為に土いじりでも、と言い残してさっさと部屋を去って言った同僚に軽くてを振りながら、言葉に甘えてそのまま眠ることにする。
目が醒めたら、頬に跡でもつきそうな状態で、深く深く眠った。
「ガイ」
「ガーイ」
意識が引き戻されたのはそんな声と、ぺたぺたと柔らかな手で頬を叩く感触だった。
甘えっ子が親に甘えてくるような、そんな声。
「……ルーク…様?」
「ちがう!ルーク!」
「…はい、そうでした。で、何やってんだルーク。お前まだ勉強の時間じゃ…」
「つまんないから、あそびにきた!」
あぁ、これは俺も共犯ってところか、なんて悟り、しょうがないなぁとその小さな身体を抱え上げる。
「ほら、座れ。ルークのいっつも座ってるような椅子より硬いかもしれないが、ごめんな。此処じゃこれしかないんだ」
所詮、使用人風情だ。与えられる部屋もその中の椅子やベッドなんてものは、ランクが大分下になってしまう。
それでも今まで眠っていた自分の椅子と反対側の場所に降ろして座らせてやれば、満足げに微笑む。
自分も同じようにして座れば、先ほどまでしていた体制を真似るかのように机に突っ伏す赤い子供がいた。
「ガイ、ねむい?」
頭を机に乗せて、こちらをじっと見つめながら子供が聞く。
「んー…まぁ、ちょっとな。寝起きだから仕方ないだろ。」
「じゃあルークもねる!」
「はいはい。じゃぁルークも寝よう、な。」
くすくすと微笑んで、机に零した赤い髪を決して潰さないように腕を乗せて眠ろうとする。
目を閉じれば今ならきっと眠れそうな気がする。
「ガイ、」
ざくん。
呼ばれて、そして痛みが走った気がした。
「ガイ」
気のせいじゃ、ない。
驚いて目を開けば、ばちりと、子供の笑顔が目に入る。
あぁこれは、何故だろう覚えがある。
うとうとと、木漏れ日の下姉上と共に眠りに着いた時。
あのひとはずっと、子守唄のように呼んでいた。
「ガイ(ガイラルディア)」
違うのに重なる声に果たして動揺は隠せただろうか。
使用人ガイ・セシルの優しい笑みを取り繕って早々に退出する。
柔らかい笑顔と声に心は意味もなく血を流す。
ばたばたとなりふり構わず駆け出して与えられた自室へ走ってバタンと扉を閉めると同時にずるずると力無くへたり込んでしまう。
「………馬鹿じゃないのか…」
ガイラルディアは少しずつ傷を増す。
(ガイ)
温かく柔らかなあの幼い声に、ああ何時かは殺される。
不意にそんなことを思った。
やわらかなナイフでやさしくころして
(その陽だまりのような笑顔は侵してはならないさしずめ絶対領域)
(怖かったのは、柔らかな声じゃなくてルークの真っ直ぐ過ぎる笑顔だといい。でもまさか自分がただの餓鬼の笑顔にびびってるだなんて思いもしないから気付かない。気付かないままガイラルディアが血を流す。悪循環な仔ガイルクが大好きです(にこ))(060816)
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