皇帝の私室だと言われるまで、一体此処は何処の家畜小屋なんだろうか、なんて考えたこともあった。
「…前に来た時より、なんかすっきりしましたね。」
「そりゃそうだ。なぁガイラルディア!」
「なんだかもう、さも自分がやったことみたいな笑顔でこっち見ないで下さい!大体片付け完璧にしたのは俺ですよ!?しかも前に片付けてからそう日は経ってないじゃないですか!」
「ドンマイガイラルディア!」
「ルーク!ルーク頼むから、俺は一生お前の使用人がいい!!」
「……」
実に微妙なラインを行き過ぎてしまった感のある発言に純粋に顔をしかめて、そんな俺を見て大爆笑の域を超えて苦しそうに笑う陛下。
どうやら元使用人、ガイ・セシルという幼馴染がそれにショックをうけたらしいことに気付いたのだろう。
近くに居たハナ垂れブウサギ、サフィールが憐れむようにすりすりと鼻をこすりつけていた。



ならば貴方が神の声。




空の何と青いことか。何と美しいことか、なんて一人感傷に浸っていたところで、ベルケンド入り口に待機しているノエルとアルビオールに向かっていた一行にジェイドが切り出したせいで、今全員がグランコクマへと滞在している。
「ちょーっとばかり調べものがあるので、皆さんグランコクマで2日ほどお休みしましょうか」
怖いくらい爽やかな笑顔で、しかもつい先程ベルケンドで貰ったばかりの白衣を着たままだった為、その場にいた全員(もちろん、ミュウも)が「あ、はいどうぞ」なんて少々怯みながら了承してしまったのだ。
それを、何処で耳にしたのかは知らないがタイミングよく聞きつけた陛下が「部屋が荒らされた。助けろガイラルディア。PS:ルークも連れて来い」などという滅茶苦茶な手紙を鳩で飛ばし、宿で剣の手入れをしていた俺とガイは仕方なしに宮殿へと向かい、そしてこの有様だ。
「いやーにしても本当に助かったぞガイラルディア。褒美は次のブウサギの名前ってことで。」
「やめてください。本当にやめてください。」
「なんだ不安か?そうかそうか。残念だったなルーク。折角ガイラルディアが此処に来ることになっていたのに…。」
「あの、俺人間です。俺ブウサギじゃないんですけど。貴方のブウサギルークはあっちにいるんですけれど、陛下。」
「おおっと間違えたなあ!」
「陛下!ウチのルークに何してるんですか!」
実に、阿呆なやり取りだと、思う。
先程からお茶の準備をしているらしいメイドが、くすくすと笑いを堪えている姿を何度見ただろう。
あぁもうこの際誰でもいい。此処から出て行く許可をください。
そんな考えをめぐらせながら溜め息をつけば、応酬を繰り返していた二人の声がぴたりと止んでこちらに目を向ける。
「…な、なんだよガイ」
「ん、いやな。溜め息なんてつくルークを見るのはやっぱりまだ慣れないと思ってだな。」
「そうなのかガイラルディア。それじゃあジェイドに聞く"親善大使殿"はさぞかし楽しい奴だったんだろうな」
「何を聞いたんですか。何を。」
「こら、溜め息禁止。卑屈も禁止。」
そう、ガイに言われる姿にまたしてもくすくすと笑いを漏らす姿を目に入れてしまい、なんだかどうでもよくなってきた。


その立場上のせいなのか、はたまたこの人の何処かから湧き出る物なのかはよくわからないが、自信たっぷりで真っ直ぐすぎる皇帝陛下。
旅の中で何処かすっきりと、吹っ切れたような幼馴染であり頼れる友人であり、そして元使用人の伯爵。
どうしてそんなにも突き進んでいけるのだろう、どうしてそんなにも。
腹の底よりもずっと深いところに沈みきって、だんだんと存在感を増してゆくソレが脳裏を掠めても、此処に居れば些細なことかのようにその明るさから掻き消されてしまう。
だからこそ、ますます解らなくなるのだろう。
此処に、あの手がうっすらと消えるのではなくそのまま綺麗に跡形も無く消えるはずだったのに、消えることも無く。
青い空だとか美しい緑の色だとか、本来の世界が色を取り戻した世界に。
生きてゆく意味すら教えてくれない世界に。
「……なんで、戻ってきたんだろ」
「そんなの決まってるじゃないですか、私の研究がまだまだ終わってないからですよー」
「おわああ!指差し棒痛え!」
止まらない薄暗い思考は軍本部で調べ物をすると言っていた、ある意味今回の元凶とも言えるであろう大佐殿が何時の間にやらケテルブルクのカジノでゲットしてきた指差し棒で遮断される。
気付けば背後に立っていて、何時の間にやら腕から出したそれで丁度背骨のあたりをごりごりとやられる。
「おお、ジェイド。お迎えに来た父親のようだな」
「陛下、最近インディグネイションがさくっと出せるようになってきました」
「遠慮しとくぞー。じゃあなルーク。明日も来いよー!」
「ルークー!!?」
刺々しい言葉を交わしながら、首根っこを掴んでずるずると引きずられる。
半ば諦めた状態でちらりと、大手を振ってまるで子供を送り出すような陛下の横で名前を呼ぶ友人の姿に、またしても嫌な顔をしてしまったのは大目に見て欲しかった。
「…ジェイド、ガイって、あんなだったっけ…」
「おや、今気付いたんですか。出会った当初から過保護なルーク馬鹿だと思っていましたけどねえ」
愉快気に笑う死霊使いと、そんな死霊使いに引き摺られる可哀想な青年のような目が、ジェイドの私室に引き摺られてゆくまでの間に幾つも突き刺さる。
グランコクマの人間はこれでいいのだろうか。

 

 

とある一画を除いて綺麗に整頓された軍室を見ると、こういう些細なところにも人柄というものは出るのだと思った。
あんな荒れ放題の皇帝の私室、対して親友である軍人はこんなにもきっちりとしている。
「あー…なんか、ジェイドの執務室は落ち着く…。」
「仕事をするべき場所なので落ち着くようでは駄目なんですけどねえ…。はい、もういいですよ。」
引き摺られてきた身としては一体何事かとも思ったが、なんてことは無い。
「ありがと。…ていうか、検査ぐらいなら引き摺らなくてもいいだろ。」
「いやーすみません、気分です」
「…ごめんジェイド、アニスが居ない単体だとそのなんかお茶目な感じの笑顔が怖い。」
「ま、卑屈な子供を叱咤する意味でもありましたがね。」
「…………あ、っそ。」
「おやー、図星ですかぁー?」
こういう風に、人をからかう姿は出会った当初から変わらないと、思う。
ただ変わったのは、そのからかう時のあまり変わらない表情なのだ。
実の妹から悪魔と呼ばれるだけあった、その冷たい視線。解るようになれば解ってしまう柔らかさが、今あるのだ。
「…いいんだよ。卑屈って言われても…まあ、確かに、そうだし。」
「認めるんですか?」
「いやだってなんか、…落ち着いてみると確かにそうだろ?こんなこと考えてるのは、うん。卑屈。」
「嫌ですね、そんな真面目な顔して自分は卑屈ですなんて公言されてしまっては、いじるにいじれないじゃないですか。」
「なあ、ジェイド。」
「はいなんですか?」
「何で俺は消えなかったんだ?何で俺は、こんな不安定で音素は乖離が進んでて、それで、」
言葉が、零れるように口から紡がれてゆく。
本当はこんな、自分でもうじうじしていて苛々するようなことをいう筈じゃなかったのに。何時もどおりのジェイドの嫌味にそれとなくかえして。
それでもその葛藤すら見通しているのだろうか、何も言わず静寂をもってその続きを促すように、赤い譜眼がこちらをまっすぐに見る。
「理由もないのに、知らないのに。どうして俺は此処に、いるんだ?」

知りたかったことを、全て教えてくれるものだと、あの屋敷に生暖かく閉じ込められていた頃は信じていたのだ。
現に問えば、メイドや騎士や、それにガイや母上が教えてくれた。
唯、視野が狭かったから、知らないことが多すぎた。
存在することがこんなにも不安なことで、その理由がないことが、こんなにも怖いこと。
「理由が、欲しいですか。知りたいのですか?」
「知らないままじゃ、すまされないんだ。」
「だからと言って、今の貴方に全てを知りえるほどの力も余裕も、それに何より知識を得る対価すら、持ち合わせてなどいないでしょう?」
「そう、そうだよ。でも、やっぱり一番知りたいんだ。俺が、何で此処にいるのか…って。」
そう、言った声の何と弱弱しいことか。きっとジェイドから聞けば、情けない位に泣きそうな声になっているに違いない。
「自分自身の存在意義なんて、見つからなくて当然ですよ。そんなものを知ってる人間なんて滅多に居ないでしょう。そんなことはどうでもいいんです。」
「そ、そんなことって…」
「いいですかルーク。そんなに自分のレーゾン・デートルが欲しいなら、知るんじゃなくて探しなさい。それぐらいなら私も、それに、結局こうして今も貴方の周りに居続けている人間も手伝うでしょう。だから今は、こうして言葉を交わすだけで満足なさい。此処に居て、生きて、意志の疎通ができる。人として、これで今はもう十分じゃないんですか?」
こうしてぺらぺらと喋るジェイドの姿を、最初に見たときはなんていけ好かない奴なんだと心の底から嫌悪した。
それは多分、タルタロスに強制連行された分のイライラとした感情もプラスされていたからだろうと思うが、それでも、コイツは一生好かないだろうなんて、強く思ったのも確かだ。
それが、どうしたことか。
「どうしようもなくなったら、此処に来なさい。」
「此処…って。何処にだよ。敵国の俺が軍本部なんか来たら駄目だろ!」
「違いますよー、陛下の所にでも行けばいいでしょう?」
「……なあ、ジェイド。最後の方嫌がらせなのかよくわかんねえんだけど…」
「嫌ですね、そんな訳ないですよ。あんな馬鹿正直で無鉄砲な陛下のことです。貴方のその卑屈まっしぐらのお悩みぐらい、ぱぱっと解決してくれるでしょうに。一言で。」
そうして、にこりと。
ジェイド・カーティスが微笑んだ。
「…うん。うん、そっか!」
「おや、何かわかりましたか?」
「なんつーか、神様なんていないと思ってたけど、ジェイドは俺に沢山与えてくれるから。きっと俺の神様だ!」
「………ルーク。何処の殺し文句ですか、それ。」


例えその瞳を周囲が恐れても。
例え"死霊使い"など言われようとも。
始めの冷え切った刺すような瞳はもうない。


慈愛を僅かに孕んだ少し悲しげなその瞳がきっと、今ここで見える世界の中、一番うつくしい。
上手く丸め込まれたような気もしたが、それで今は十分だった。

 

 

だから此処に居ることを喜ぶように、は笑って?

 


(無理矢理だな、なんてそんな。そんなの何時もどおりです。段々何書いているのかわかんなくなったのも何時もどおりです。…ま、まぁ。そんな感じでジェイルク。しつこいようですがウチのルークは自分の存在理由が欲しくて仕方ないので。ジェイドならどうあしらうかな、なんて。…で、それとなく書いたらルークが気持悪いぐらいの乙女になった。螺子飛んだ?どうしたルーク?みたいな気分だった。すごく癪だったので最後で突き落としてやりました。後味悪くてごめんなさい。)(…それにしてもジェイドの慈愛を僅かに孕んだ笑顔が美人顔しか連想できなくて、どうしたらいいのかわからないんですが(笑)想像できた人教えてください。どんな感じか。書いた本人もわからないよ…!)(060822)