低く迫り来るような美しい音色。
弓を横へと滑らせる腕が音を零し、そうして恐らく脳に刻まれているのであろう楽譜をひたむきに進んでゆく。
正直に言ってしまえば、今直ぐ此処で腕を止め、コントラバスが奏でる音だけを楽しみたい。
しかしそれでは駄目だとなんとか自分を押さえつける。
鍵盤を叩く手を止めれば、彼の機嫌はきっと一気に垂直落下。暫くはあの音も目の前で聞くことはできなくなってしまうだろう。
両親とも、そして双子の兄とも違う楽器を手にして、ようやくして認めてもらえたのだ。
こんな滅多に無いチャンスを無駄にしてたまるものかと、心して弾いてやろう。
もう一度あの仏頂面が驚きに目を僅かに剥いて、そうしてから薄く笑みを浮かべるその瞬間を、見てやるのだ。
教えてもらう、と言っても何年間も真面目にやってきた身となっては、最近では好きな曲を探して弾くぐらいしかしていない。
それでも、それで満足だったりする。
気まぐれに連弾なんかもやってみたり、機嫌がよければアッシュに頼んで一緒に弾いてみたり。
だからといって、これは趣味だ。
趣味であるからして、そんなおおっぴらに他人に聞かせたりするなんて、なんというか、恥ずかしい。
「で、アンタたちは………っ、なんで居るんだよ!!」
「「仕事でーす」」
「……仕事、です。」
「だ、そうだ……」
かえりたい。
今この失礼なことに、そっくりの兄から小さいと太鼓判を押された脳味噌を振り絞って考えていることはそれだけだった。
「なんで。如何してこの人たち居るんだよガイ!!」
「いやー、まさか話はしてたけどルークと面識あるなんて知らなくてなあ…。一応、世話になってるんだよ。」
「おいおいガイラルディア、一応ってなんだ一応って。」
「そうですよ!大体貴方の家とは、先生の前の代から繋がりがあるでしょう!」
「うるさいですよサフィール、やかましい口を縫って差し上げましょうか?いいですか弟君、私は弟君が弾いてくれないから待ち伏せていた訳ではないんですよ。」
「そうそう、座り心地の良いガイラルディアの家のソファーに座ってコーヒー啜りながら特等席だな、って言ってただけだからな!」
「いっそ素直に待ち伏せてたとか言ってください…。」
いつもならば、あの店の古い木と商品である松脂の香りに少しだけ気を取られつつやりとりをするはずが、如何してこう、ピアノの前で言いあわねばならないのだろうか。
埒が明かないと思い、出直そうと荷物をもう一度持ち直して、ピアノに少しだけ寄りかかった体勢のガイに向き直る。
「…もういいや。ガイ、明日で…」
「すまんルーク。俺もこっち側なんだ」
「………ガイ、手ぇ離してくんね?」
「嫌、だな。」
「…離せ。」
「嫌だって。」
何時もどおりの爽やかな笑みを浮かべたまま、帰ろうとした左腕を一応力加減をしてがしりと掴まれる。
幾ら離すように言っても離さないところを見ると、明らかに自分が不利なことに今更ながら思い至る。
例え此処でガイを振り切れたとしても、恐らく直ぐ後ろ辺りでにやにやと笑う金髪の人間だとか、眼鏡を軽く光らせる人間だとか、結局何時もそんな二人に引き摺られたままの人間が難関だ。
「……どうしても、離さなねえ?」
最終確認として、少しだけ引いた位置から声を出す。
「ああ、どうしても離さないぞー!」
ヤケにウキウキとしながらあまつさえ左手を両手で掴み、そのまま白いグランドの、真っ白な椅子へ座らされる。
「そら、お前の好きなアレ、弾いてやれ!」
楽しげに笑うその顔に、何故だか諦めてしまう。
こうなってしまえば、どうにでもなれ。
ヤケクソといわんばかりに笑みを浮かべて、手を鍵盤に添える。
「……あーもう!それじゃあジェイドさん、ピオニーさんにサフィールさん!アンタ達も、今度なんか弾けよ!!」
す、と息を吸ってから、吐き出す二酸化炭素をも掻き消すように、鍵盤を叩いた。
2年前に、大喧嘩をした。
詳しい内容こそは覚えていないが、切欠が丁度進路がどうだの、そんなことだったのは覚えている。
まだアッシュと共に、あの人の所へ通っていた頃だ。
何故だか幼少期、両親に紹介されたひとが弾いていたそれにやけに感動というものを覚えたお陰で、二つをなんとか両立させていたのだ。
それでも、高校に行く場合、それではよくないと常々言われた。
そうしたら、何故こっちを選ばなかったのかと、そして喧嘩になったのだ。
口論なんてものは日常生活の中で度々起こったものだったが、そんなに酷い喧嘩というものは初めてだった。
だからどうしようもなくて、どうしていいのかすらもわからないまま、丁度当時教えられていた曲を、弾いたのだ。
「……おい。」
「な、……なん、だよ。」
「テメエが弾けるのは、その程度か。」
「…悪いかよ。これでも、俺は、」
「だったら精々、これから精進するんだな。」
ふと、眉間に寄せていた皺が全て無くなる瞬間を見た。きっちりと結ばれた口元が僅かに緩む瞬間を見た。
「…当たり前だろ。アッシュ。」
そこで初めて、認められたような気すらした。
一家の中一人だけ、まったく違う楽器をやっているということに、少なからず背徳感のようなものは無意識の間に抱いていたのかもしれなかった。
だから、暗に認めてやる、みたいなことを言われたその瞬間がとてもとても、嬉しかったんだ。
「アッシュ、やろう。知ってるか、ピアノとコントラバスって、案外言い具合に合うんだって。」
「ほう?テメエが俺の腕についてこれるとでも思ってんのか?」
色あせない思い出が駆け巡る中、腕が演奏を、止めた。
「………弾いた、けど。」
椅子に座ったまま、首だけ動かしてたった4人の観客を見やる。
「…思った以上、ですね。」
「確かになあ…幻想即興曲、あんなに綺麗に速く弾ける人間も居るもんだな。おいサフィールー?終わったぞー?」
「駄目ですね、聞き惚れたままどっかに行っちゃいましたか。」
ぽかんと、こちらを向く銀髪の滅多に出てこない店員の後ろで、くくくと聞きなれた声がする。
「な、何だよガイ!何笑ってんだお前!」
「いや。ルークお前、本当にその曲好きだなあ。」
そんなこと、当たり前だ。
「当たり前だろ。俺が此処で弾いてるのも、この曲のお陰なんだから。」
ピアノを照らす陽射しに眩みそうになりながら、にこりと、微笑んだ。
喧しい観客より、盛大なる拍手を差し上げよう。
(そんな感じで音楽パロ後編です。途中でアシュルク願望が滲み出ているのは軽くスルーして下さって結構です。ルークの演奏に聞きほれるいい大人達が出だしうざったいぐらい某一名スキンシップはかってますが、そこもそれとなく流してください)(ちなみに、序盤でルークがアッシュと弾いていたのは「G線上のアリア」です。幻想即興曲と言い、好きな曲ばかり弾かせてしまっている…。アリアのとこをどうしても入れたかったのは、アッシュがコントラバスを弾くという個人的に悶えて転がる位おいしいシーンをどうにか表現したかったから。うまくできてませんがね(笑))(060822)
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